あかね噺

ここ数日、前の全録レコーダー(DIGA DMR-2X203)の調子がいい。
とくに何もしなくても、番組を再生できる。それが普通なんだけどね。
それで今日は筋トレをしながら「あかね噺」を最後まで観る。
前期の個人的ランキングからだと「とんがり帽子のアトリエ」になるのだろうが、この作品はカミさんも録画しているそうなので私のレコーダーが死んでも観ることができる(カミさんには「アマプラで観ればいいじゃないの」と言われてしまった。そういえばFire TV stickもテレビに挿さってたね。気が楽になった)。
そういうことで、「とんがり帽子のアトリエ」を後回しにして「あかね噺」である。
私は上方落語側の人間で江戸落語に対しては対抗心みたいなものを持っているのだが、そういう私でも感動させていただくことができた。
この作品も「おっ父がなぜ破門されなければならなかったのか」が明かされないまま話が進む。
というか、その理由を知ることがこの作品のキモなんだが。
この作品も「ガッカリさせないでくれ」と思いながら観ていたのだが、これも私には「納得できる」とはいえないものであった。
いや、その程度で破門なんておかしいでしょ。しかも他人の弟子を。なんぼ何でももっと別の処遇を行うべきでしょう。
とか思いながらも「春夏秋冬代行者」のように醒めてしまうということはなかった。
それもこれも阿良川一生の特異なキャラクターのせい、ということなんだけど、それだって「春夏秋冬代行者」でも観鈴・ヘンダーソンの狂気のせいだということになってるんだよなあ。
この理由がこの世界観の中で違和感がないということなんだろうか。
それにしても後半になると「おっ父」の影がまったく見えなくなるのが不思議だ。
レコーダーの調子がいいといっても、数回再生した後に日付選択画面を表示しようとしたら画面が真っ暗になって「ヤバい!!」と思ったんだが、しばらく経ったら日付選択画面が表示された。最終話を再生した後にもしばらく画面が真っ暗になった。まったく正常というわけでもない。
筋トレも最近はだんだんキツくなってきている。やる前には「できるだろうか」と思ってしまうくらいである。完遂したときには「ありがたい」という感覚になってきている。