健康診断

今日は健康診断に行く。
健康保険組合から、補助するので受けないかという通知が来たのである。
任意継続の期間がもうすぐ終わるので、今後私が大病しようが組合の経営にはまったく影響がないんだけどね。
しかし、事前にやることが面倒臭い。
受診前5日以内に2回、採便しないといけないのだが、便秘の私には苦行でしかない。

なんせ、今は亡き母に「あんたは赤ちゃんの頃から便秘で大変やった」と言われるくらい筋金入りの便秘なのだ

======== 以下尾籠な話なのでご注意 ========

 

 

 

採便時には便器の底に紙のシートを敷いて排便することになるのだが、私は便意を感じてトイレに行っても出るかどうかは座って気張ってみないとわからないのだ。出なかったらシートが無駄になる。そしてシートが無くなってしまえば「また次の機会」というわけにはいかない。
起床直後に大量の冷水を飲みながら腹筋を動かし、その後も手で腸を刺激し続けるのだが、それでも確実に出るという感覚にはならない。
実際、今回も必死で踏ん張って少量しか出なかった(出ただけラッキー)。
そして採便するのがまた大変だ。私の便は固くてコロコロしてるので、表面をなぞれば付着してくれるというようなモノではない。
力を入れて擦ろうとすると、シートが破れて便器の底に転がり落ちてしまった。困った。
便器が和式の頃ならこういうことはなかったんだが。
まったく便秘の人間に対する配慮が足りないのである。と声を大にして言わせてもらう。
今回は採尿も当日朝に自宅で行うことになっていたのだが、これもイライラした。
紙コップを組み立ててそれに尿を採ってから容器に入れるのだが、紙コップがなかなか形にならない。すぐ形が崩れる。これじゃ尿を採るとき危険でしょ。私が不器用なせいかもしれんけど、もうちょっと組み立てやすい素材にはできなかったものか。日本の技術でできないわけがないと思うのだが。
容器の蓋もちゃんと閉まっているかわからなくて不安だ。ラクトロンが入っていたチャック付きの袋に入れて持っていきましたよ。
書いてある説明も不十分だと思う。なんか「間違わないように説明しよう」という意欲が感じられないのよね。もうちょっと細かいステップに分けで図解も入れて説明してくれないと自信を持ってできないよ。「尿を容器に入れるだけだから簡単簡単」とか思ってるんだろうけど、それは作る側の考えだよ。
そういうことは尿検査器具を採用する側には関係ないのかね。この状況にあぐらをかいている業界なら、うまくやればひっくり返せるんじゃないだろうか。
それで幾多の苦難を乗り越え、行ってまいりました。
ポケGOのパワースポットを4箇所回ってから行ったので、ギリギリの時間になってしまった。
今回は施設を選ぶことができたので自転車で10分かからない距離にある病院に行った。
健康診断専用の施設ではないせいか、それほど受診者の人数は多くない。これでスタッフの人件費を賄えるのだろうかと心配になるくらいだ。
私が入場したとき、外国(たぶん中国か韓国)の人に説明していた。そうか、このあたりは町工場が多いから外国人労働者も多いんだ。そして当然それらの人にも健康診断を受けさせないといけない。説明する人も大変だ。
受診前に服と荷物はロッカーに預けるのだが、毎回ちゃんと返ってくるか不安になる。まあ、こんな人目のあるところで窃盗を行おうと思うヤツはいないと思うんだけどね。
私はバリウム検査は害悪だと思っている(だからといって胃カメラを飲む気にもならないが)ので、潰瘍性大腸炎の既往歴があるという理由をつけて拒否するようにしている。そうすると、(契約社員だったときは会社負担だった分が自己負担になったと思われる)料金が半分くらいになった。まあ大掛かりな設備が必要だからねえ。それでガンの早期発見が難しいんじゃ、やっぱり受けるべきじゃないね。個人の意見だが。
今日は「ポケストップおひろめ」をやっているのに気づいたので、帰りに何箇所か廻る。参加できるポケストップが3箇所という制限が無くなったので、見える範囲にあるところには全部行きたくなるようになってしまった。大変だ。
しかし疲れた。尋常じゃない疲れ方である。そんな大したことは全然してないんだが。やはり普段やってないことを行う能力が老化によって衰えているんだろうか。
そしてショックだったのは、弟と会う日付を調整しようとしてカレンダーを見ていたら「何をどう考えていいかわからない」状態になってしまったことである。今までも家を出る前にやるべきことがポコっと抜けてたり頭の中で段取りを組むのが難しくなってる自覚はあったのだが、これはちょっとレベルが違う。
カレンダー上の日付の枠に次々に視線を移しながら、必死で何をどう考えるべきか思い出そうとするのだが…
何かが頭の中で壊れたような気がした。脳血管障害の症状は出ていないが。
今日という日は私の人生にとって大きな転換点になるかもしれない、とさえ感じたことであった。